グーテンベルク Johann Gutenberg
1394(99)-1468(独)
母型で鋳造した可動金属活字を使う印刷術の発明者(とされる人物)。この金属活字による活版印刷の発明は、人類の三大発明の一つといわれている。以降、情報伝達の質と量 が飛躍的に増大することになる。
当時の書物は、写字生が肉筆で書き写す写本が普通で、量産には限度があった。1424年のケンブリッジ大学では122冊の写 本を所蔵していたに過ぎなかったし、裕福な貴族の書斎では20冊も蔵書していれば多い方であった。書物1冊の価値は葡萄園や農場と等価であった時代、書物の量 産が可能な活版印刷の発明は画期的であった。
一つ一つ動かせ、再使用の可能な金属活字を使って印刷したものが活版印刷(タイポグラフィ)。一方、一枚の板に多数の文字を直接彫刻した版を使って印刷したものが木版印刷(ザイログラフィ)である。
彼の印刷した42行聖書はあまりにも有名。180部は紙に、30部は上質のヴェラムに印刷し、合計210部出版された。このヴェラムは5,000頭分の子牛皮が必要であった。
42行聖書の一部(第二サムエル書、第5章17-24節)
グーテンベルクがマインツで1452-56年に印刷。


ニコラ・ジャンソン Nicolas Jenson
1420頃-1480(仏)
ヴェネツィアで活躍した活字デザイナー兼鋳型制作者。元はツゥール王立造幣局局長でコインの鋳型を作る名人だった。彼のローマン体はページ全体に均質な調子が生まれるよう字間および懐のスペースをデザインし、名声をえた。晩年には優れたギリシャ文字とゴシック体のフォントをもデザインしたが、ジャンソンのフォントは一貫して個々の文字が見事に一直線に並んでいる点で、同時代の他の印刷工のそれをしのぎ、史上最高の活字デザイナー兼鋳型製作者の一人であるとの名声を得た。




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アルブレヒト・デューラー Albrecht Durer(独)
1525年に著した「測定論」で、線幾何学と平面幾何学構成の理論的解説をし、建築、装飾、工学、字形への幾何学の適用を説明した。彼がデザインしたローマン体の大文字は字体構成の明確な説明とともに、アルファベットのデザインの進化に多くの寄与をなした。
「測定論」で建築、装飾、工学、タイプフェースへの幾何学の適用を説明している。デューラーの均整のとれたローマン体の大文字は字体構成の明確な説明とともに、アルファベットのデザインの進化に多大な影響を与えた。
右の図は、ゴシック体構成のための基本単位方式を紹介している


ゴーディ Goudy
ローマン系の書体。これは古代ローマの碑銘の文字から由来している。


ジョフロワ・トリ Geoffroy Tory
1480-1533(仏)
大学教授で研究者、詩人、作家、出版人、本屋、能筆家、デザイナー、印刷工と多方面 で才能を発揮した。フランス語の改革者として、アポストロフ、アクセント記号、セディラを導入し、ラテン語・ギリシャ語の文献を翻訳して出版した。
デザイン分野では、フランス独自のルネサンス様式のブックデザインと挿絵を開発した。彼と活字デザイナーのクロード・ガラモン、傑出したこの二人のグラフィック・アーティストが創出した視覚的諸形式はその後200年にわたり採用され続ける。
左:トリのデザインした頭文字シリーズの一例(1526年頃)
右:ボーダーを満たす動植物のモティーフ。組合せを変え全ページに適用(1541年)


クロード・ガラモン Claude Garamond
1480頃-1561(仏)
ガラモンド体はオールドスタイル系書体の代表格。ヴェネツィア・アルドゥス印刷所の書体デザイナー・グリフォの制作したローマン体を手本にして、新しいくデザインしたローマン体活字。このフォントは大文字、小文字、イタリック体のデザインの調和を視覚的完璧さで達成し、より緊密なタイポグラフィを可能にした。彼のフォントの影響力は18世紀末まで衰えなかった。
(余談であるが、ガラモンド体は弟子のジャノンが作った書体であり、師匠のガラモンが作ったものと勘違いされて世に出たものである。)


ロココ様式
 


ルイ14世(仏)
ルイ・シモノー 1654-1727(仏)
フィリップ・グランジャン1654-1727(仏)
彼は印刷に強い関心を持っていた。1692年、科学的原理に基づいた文字のデザインで新しいタイプフェースを開発するように、数学者のニコラ・ジョージョンを責任者とした学者組織に命じた。
新ローマン体の大文字を作るために、64のグリッドに分け、その各グリッドをさらに36のグリッドに分けた合計2304のグリッドが用いられた。開発されたタイプフェースデザインは、彫刻刀や筆使いの特徴が薄れ、製図機器を用いた数学的につり合いのとれたものであった。この新しい活字体を「ローマン・デュ・ロワ(王室ローマン体)」と呼ばれ、水平方向のセリフ部分が明確で、各字形のバランスがとれていた。
タイプフェースの原型を銅版画として彫り込んだのはルイ・シモノーで、新タイプフェースの標準とした。フィリップ・グランジャンはその原型を実際の活字として彫刻・鋳造した。
この王室ローマン体は王立印刷所で王室関係の印刷物のためだけに使用され、他の者が使用すると処刑された。


ウイリアム・カズロン William Caslon
1692-1766(英)
カズロン(キャスロン)書体は特に当世風・革新的であったわけではないが、簡潔で実用性に富んでいたためと、イギリスの植民地支配の拡大により世界に広がり、19世紀に入ってもしばらくのあいだ大英帝国全域で支配的であった。
印刷技術者としてのベンジャミン・フランクリンはアメリカ大陸各地に紹介し、そこでも広く使われた。ボルティモアの印刷業者による独立宣言の正式印刷物にもカズロン・フォントが使用された。
カズロンのローマン体とイタリック体。


トマス・コッタレル Cotterell Thomas
1785没(英)
バスカヴィルは文字の太い部分と細い部分の差を強めた書体を開発し、旧体活字と近代活字の架け橋となる過渡期のタイプフェースとして歴史に残った。バスカヴィルは装飾を拒否し、空白を充分とったページデザインに特徴があった。インクを工夫し光沢を持たせたり、紙をプレスして平滑紙を作り出したりと技


ジョン・バスカヴィル 1706-1775(英)
John Baskerville
バスカヴィルは文字の太い部分と細い部分の差を強めた書体を開発し、旧体活字と近代活字の架け橋となる過渡期のタイプフェースとして歴史に残った。バスカヴィルは装飾を拒否し、空白を充分とったページデザインに特徴があった。インクを工夫し光沢を持たせたり、紙をプレスして平滑紙を作り出したりと技術を改良し、全体として見やすさと洗練さを兼ね備えた書物に仕上ることに成功した。彼の活字と本はイギリスでは無視されたが、ヨーロッパ大陸で大きな影響力を持った。


ジャンバッティスタ・ボドニ 1740-1813(伊)
Giambattista Bodoni
ボドニは、ローマン体をより数学的、幾何学的、機械的な外観を持つようにデザインし直した。その基本になる理念は、明快さ、趣味の良さ、魅力性、趣味の良さ、統一性であるとした。彼はセリフを改良し、一本のヘアラインにまで単純化した。
ボドニ体の正確で測定可能な、そして再現性のある書体デザインのコンセプトは、到来しつつあった機械産業時代の理念を先取りしていた。
ボドニ晩年のグラフィックデザインにおける徹底した簡潔さは、現在にも通じる画期的なものであった。
この書体はモダンフェイス系。
「活版印刷の手引き」のページ(没後、妻らによって出版1818年)


木材パルプを原料にした製紙
中国からヨーロッパに紙の製法が伝わって以来、紙の原料は「ぼろ」が使われていた。フランスの大物理学者レオミュールは木材パルプを原料にした製紙を1719年に提唱した。しかし当時の製紙業者は何の反応も起こらなかった。
1843年、ザクセンの機織り師フリードリヒ・ゴットロープ・ケラーが、木材パルプ紙の製造におけるすばらしい成果 を上げると、その後10年以内に各地に広がった。以降、紙を国家経済の根幹と位 置づけたカナダ、スウェーデン、フィンランドでは製紙が主要産業に発展していった。